2025年5月23日

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歴史ものがたり

Episode 04:タイム・カプセル EXPO’70

36カ国、632人の有識者に呼びかけ、世界的な視野で選定に当たるとともに、一般公募で日本全国の総意を集め、自然科学、社会、芸術の3分野から選び抜いた2098点の品々。

5000年後の人々に伝える

1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市で開催されたアジアで初めての万国博覧会に、松下グループ(現在のパナソニックグループ)は松下館を出展。天平文化*1の建築様式や竹林、池、お茶室など、日本の伝統的な美しさを取り入れたこのパビリオンには、累計760万人が訪れ、大変なにぎわいを見せました。

*1 奈良時代の天平年間(729〜749年)を中心に栄えた日本の文化。この時代には、屋根の稜線が優美な寺院が数多く建てられました。

松下館と70人のスタッフ。春、初夏、盛夏の三度にわたり衣替えされた着物は、パビリオンの雰囲気とよく調和し、多くの来館者から好評を得ました。

特に注目を集めたのが、毎日新聞社と共同で企画した「タイム・カプセル EXPO’70」でした。この事業では、現代の文化を後世に伝えることを目的に、2098点の品々を厳選して収納したカプセルが2つ、大阪城公園*2の地下に埋設されました。そのうちの1つは、5000年後の6970年に開封される計画となっています*3

*2 国の特別史跡であるため、将来の都市開発の影響を受けにくく、地層も安定していることから、この場所が選ばれました。
*3 この事業の全記録をまとめた文書が、日本国内だけでなく、海外の国立図書館や博物館にも送られました。

松下電器(現在のパナソニック ホールディングス)と毎日新聞社は、万博開幕から1周年となる1971年3月15日、大阪ロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル)で、このカプセルを文部省に寄贈する記念パーティーを開催。壇上に立った幸之助は、関係者の協力に深く感謝の意を表した後、「松下電器の名前が5000年後まで残ると思いますと、この事業は"だいぶ安くできたな"という感じがするのであります」とユーモアを交えて話し、和やかな雰囲気で場を締めくくりました。

(左)本体の鋳造技術、ふたの溶接技術、収納物の保存技術など、現代の日本の最高技術を駆使して製作されたタイム・カプセル。
(右)埋設地点を示すステンレス製のモニュメント。このモニュメントの下、15メートルの土の中で、カプセルは5000年後まで眠り続けます。

はるかな未来へ希望を託す

カプセルの中には、劣化を防ぐために純金のレコード盤に録音された、5000年後の人々への幸之助(当時75歳)のメッセージも含まれていました。その一部を紹介します。

「地球は年々変化をいたしているということを、今日の科学者も申しております。また、人類の生活状態も刻々変化しつつあります。5000年先には、どういう状態に地球が変化していくのか、また、人類の生活がどう進歩していくのかなどを考えますと、われわれは、こうなるであろうということを的確につかむことは到底できません。いろいろ想像するに過ぎんのでありますが、そういうことを考えること自体、このカプセルを作るということの、一つの大きな興味であると思うんであります。(中略)どうか皆さん、5000年前の人々は、こういうものを作って残しておいたんだなということに、一つの興味と、また、いろいろなことをそこに想像していただきまして、これをご覧願うことを心から希望する次第でございます。ありがとうございました。さようなら」。

原稿を練り直す幸之助(左)。少し緊張した面持ちで、5分以上かけてメッセージを録音しました。

幸之助は後に、「生きた歴史となる事業は、万博の中ではこれだけではないでしょうか。有効なプロジェクトの一つではなかったかと、われながら自信を持っています」と語っています。

この壮大な事業は、1970年当時の進歩の足跡を未来に残し、5000年後の人々にとってかけがえのない意義をもたらすことでしょう。

松下館のテープカットを行う幸之助。このパビリオンは、1968年に中宮寺の新本堂を設計した建築家の吉田五十八氏が、幸之助からの依頼を受けて手掛けました。

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